喪中の私は「おめでとう」がいえません。「本年も宜しくお願い致します」としか。昨日は言葉通りの寝正月でした。ここ数年寝正月。けれど、数年の中では一番マシな気分。
昨年の話になるけれど29日に娘は泊まりに来ました。娘が見たいというDVDと私が見たい物を二枚借りてきました。夕食は外食。たまにはいいかなって。楽しくてお互いに食が進みました。
翌日は二人で寝坊して、午後からは少し遠出。神奈川の、とある観光地へ行きました。散々食べ歩き暗くなってきたので、娘のおねだりで、ちょっとお値段の張る丼ものを頼みました。あと少しで完食というところで、気持ち悪いと娘はお店のテーブルにつっぷしました。それまで沢山食べ歩いてきた娘、いくら育ちざかりといえどもこれは許容量を越したかなと、私もお腹一杯だったけれど、残りがお米数粒だったので平らげました。どちらの丼も空となり、お店を出ることにしました。
突っ伏している娘に、ゆっくり歩いておいでと促すと、娘はスタスタと出口へ向かいました。私は会計へ。すると、店の外でドサッという音がしました。振り返ると娘が仰向けにひっくり返っていました。お店の入口で売り子をしていた女性に続き、私もすぐに駆け寄りました。声を掛けても返事はなく、娘は薄目で気を失っていました。倒れた所は段差になっていたので、転んで打ち所が悪いのか、他の理由で気を失い倒れたのかは目撃者もなく不明でした。お店のご主人が出てきて、お客で来てた男性に呼びかけ、娘を店内の椅子の上に運びました。すると娘の意識が戻り、声を掛けましたが朦朧とした様子。ほどなく救急隊が担架を担いで到着。倒れた前後の状況を簡単に質問されました。私はお詫びとお礼をお店にいる人達に言うと、娘を乗せた担架に寄り添いついていきました。
救急車に乗りこむと、改めて娘の持病等を尋ねられ、その後間もなく受け入れ病院を知らされました。私が遠方から来ていることを知らせると、救急隊の人はそれは車を出した方がいいと。病院までのルートは簡単だから追ってきて下さいと言い紙に書いてくれました。その場で元夫(離婚届を突きだして以来、接触しなかった)へ電話をし、娘が救急車で運ばれることと、搬送先を知らせました。幸い、奴は出先から家へ戻る途中で、搬送先にの近くを車で走っている所でした。奴は戸籍上の親ですから、さすがに連絡しない訳にはいきませんでした。奴に会って自分がどうなるかより、娘をどうするか、娘がどうなるかが問題でした。
搬送先の病院への道のりは簡単で、予想された渋滞もなく到着。入口付近で救急隊の人達が待っていてくれました。すんなり来れましたか?という問いに「お心遣いありがとうございました(旨)」言うと、係の人に促されて診察室へ…。医師には血液検査と親御さんには断りなしでしたが脳のCTを撮らせて貰いましたと言われました。一つすぐ分かった原因として、水分がとても少ないと。そういえば、あの子はいつも「それで大丈夫?」という程水分を摂っていなかったのを思い出しました。
娘の寝ているベットへ向かいました。意識は倒れてすぐよりはしかりしていたけれど、気持が悪いと。「食べすぎとは違う感じ?どんな風に気持ち悪いの?」と尋ねると、「お腹の辺りからモワモワって…」という返事が返ってきました。娘は点滴を打たれていました。倒れた時の状態と、その後のことを娘に知らせました。本人は店のドアを出た所までしか覚えていませんでした。
どれ位時間が経ったのか覚えていませんが、娘の父親がきました。何があったのか、背広をきて今にも泣きそうな顔をして入ってきました。その様子に娘も私も呆れていました。『これは例のポーズ。一時だけの姿』と。奴は私に「杢花さん、ありがとうございました」と頭を下げました。私は無反応でした。私の首を絞め、死ねるもんなら死んでみろと言った奴の言葉なんて全て受け入れられません。そして何を思ったのかマスクを私に差し出しました。一切接触したくない私はマスクを受け取る必要性も感じなかったし断りました。娘も何でマスク?という表情で私を見ました。
奴に事のなりゆきと娘が受けた処置を伝えると、私はベットを囲むカーテンの外に出ました。少し吐き気がしたからです。ところが院内の人がどうかしたかと私に気を遣ったり、椅子まで出してくれたので、娘のベットの足元に腰を下ろしました。心電図を測りに人がやってきました。ボケーっと突っ立っている奴にカーテンの外に出るように手ぶりで知らせ、自分もカーテンから出ました。もしかしたら、娘は私にだったら胸をはだけて見せたでしょうが、中3の女の子ですからね。
結果は不整脈もなく、健康。再び、水分がとても不足しているのでといわれ、御みそ汁でもいいから、まめに水分を摂って下さいと注意を受けました。また体調が落ち着いたらこちらの病院でもいいし、最寄りの総合病院で脳波検査を受けて下さいともいわれました。早速、奴が自販機で水分調達してきました。それを娘は一気に飲み干しました。「体は欲しがっているんだよ」と私。娘も納得。
話したくもない奴だけれど、何かあったら娘を守るのは私ではなく奴なので、人に冷たすぎる奴やその家族を知っている私は、今日医師に受けた診断を忘れずにメモしておくことと、脳波検査をする時には娘の持病といつも飲んでいる薬をちゃと答えられるようにすること、そして診察には必ず保護者同伴することと釘を刺しておきました。こんな小学生にでもしそうな指示を、40もとうに過ぎた男性にしなくてはならないんだと思うと、娘を守れない自分の生活力のなさに改めて気付かされます。私がもっと健康で、普通に仕事ができる状態なら…と思わずにはいられませんでした。
点滴が済むと歩けるかどうかを確かめられ、まだふらついてはいるけれど帰宅することになった娘。ベットから院内を移動するのに私は娘を支えてゆっくり歩いたけれど、奴は例によって自分の娘をほったらかして勝手に一人でさっさと歩いていってしました。そんな父親の姿を見た娘は「スタスタ歩いていっちゃうし」と怒っていました。と同時に「期待してないけどね」とも。元夫とその家族は『自分だけが可愛い』人達なのです。
駐車場に到着し、車に残してきた娘の荷物を娘に渡そうとすると、奴が走ってきました。仕方なしに手渡し。近寄りたくもない!娘を抱いて「しっかり休むんだよ。何かあったら誰にでもいいから連絡するんだよ」と。普通は家族が心配して娘の部屋まで様子を見にいくものですが、奴達にはそういう心が欠如しているので心配なのです。踵を返した私に奴が「杢花さん」と呼びかけます。振り返る気もしません。そのまま歩きます。遠くから何やら礼を述べたみたいだったけど、無視して車に乗り込みました。
帰路、娘が帰宅できる状態を見て安心したのか緊張がいくらかとれ、不安が心に湧き上がってきました。大丈夫かな、無事に帰宅してね。帰宅しても無事でいてね…と。どうにか見知った道に出ました。不安感がぬぐい切れず、これは気を紛らわせないと病気に悪いと思い、帰りしなDVDレンタルしてきました。帰宅して、睡眠導入剤を飲んで、DVDを見ながらいつの間にか大晦日の昼まで眠っていました。
早速、娘に電話しました。今日は食欲が普通にあり、水分もしっかり摂っていると。良かった~。借りたDVDも奴に車に乗せて貰って返す位はできたと。ただ、帰宅して心配してくれたのはババだけ。ジジやオバは無関心だったそうな;;;おかしいよね、この家族;娘はまだ調子が良くないから寝てばかりだと。やがてかったるいといいだしたので、電話を切りました。
元旦は友達と初日の出を見たんだそう。大丈夫だったの?と訊ねると、元気になった!今頃眠いと(^^;…まあ、良かった…。早めに脳波検査に行くようにと一言付け加えました。それかと、娘に私の妹からメールが届いたそうです。妹には娘の様子を電話で話したから、心配してメールしてくれたのでしょう。嬉しかったと娘。
毎年正月2日は私の実家に親戚が集まります。皆こんな時でないと集まれないから。喪中なので、華やかなことは何もしませんが、妹夫婦は双子を連れて来ます。妹と双子はそのまま二泊していく予定。娘も毎年この日にはやってきます。この分だと娘も来れそうです(*^^*)
娘が倒れたお店は年始には初詣客で賑わいます。大わらわの所へ行くのは失礼なので三が日が過ぎてから、お世話になったお礼に出かけようと思っています。
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